広島県庄原市西城町の熊野地区は、比婆山に登山する道に面しているが、古くから伊邪那岐命と伊邪那美命にまつわる地名が数多くあります。庄原市西城町では「古事記への路」として、地域を紹介しています。
別所(べっそ)
古事記に登場する国生みの神伊邪那美命は、「月のさわり」(月経)の
時、夫である伊邪那岐命と別れて、ここで生活されたと伝えられる。
田鋤(たすき)
伊邪那岐命は黄泉の国から追いかけてきた八注の雷神たちに、この地にあった桃の
実を投げて追い払いました。そのとき、桃に向かって「今、私を助けてくれたよう
に、人々が困っている時に助けてやってくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむ
ずみのみこと)と名づけたと言う神話にちなみ、「助け」が転じて「田鋤」と言う地名に
なったと言われています。
別路(わかりょうじ)
伊邪那美命が月のさわりの折、仮住まいの場所である別所へ向かう途中、送ってき
た伊邪那岐命とまた会う日までの別れを惜しんだ場所との言い伝えが、この地名
になったと言われています。
不寒原(ひえんばら)
比婆は雪が多く寒い地方であるため、伊邪那美命はその寒い冬の間、比較的暖か
いこの地に宮を造り、避寒の地にしたと伝わっています。今ではこの地名がな
まって、「へんばら」と言われています 。
力石(ちからいし)
伝説では、須佐之男命(スサノオノミコト)が山の上から戯れに投げたといわれる岩
です。縦横とも2.9メートル、高さ1メートルの巨岩で岩の上面には、須佐之
男命の手の跡といわれる窪みがあり、底に溜まった水は皮膚病に霊験があるとも
伝わっています。
越原(おっぱら)
飛越岩を飛び越えて逃れてきた伊邪那岐命が追撃してきた黄泉軍を桃を投げつけ
て「追っ払ったところ」から、越原という地名が生まれたと伝えられています。
現在庄原市比和町三河内に「越原」という地名が残っています。
驚いたことであるが、越原には、比婆山御陵の備後西口の遥拝所である比婆山神
社があり、
国の天然記念物 熊野の大トチ
トチの木は,わが国の山地に分布する落葉高木で,かなりの大木となる。時には
人家に植えられたり,街路樹に使用されることもある。
本樹は,大羽川の左岸の川岸斜面に立っており,根元は空洞となっているが樹勢
は盛んである。根回り周囲12.20m,樹高約30mで,根元から2本の支幹(目通り
幹囲9.60m,5.50m)に分れているが,全国有数の巨樹である。
昭和33年に国の天然記念物に指定されている。
広島県の天然記念物 ゴギ
中国山地の渓流に生息するゴギは,日本固有の高山魚イワナの一種で,中国地方
の特有種である。イワナ属のものは北方水域に分布の中心をもつ魚族である。イ
ワナは本州では高山の渓流に生息するが,ゴギはこの属のうちで比較的,低高度
のしかも最も南方に分布する種で,地質時代寒冷期の残存種として陸封されたも
のとされている。体長30cmに達し,中国山地の源流冷水域に限って生育し,大き
い黄色斑を体側頭上にもつ魚類である。昭和26年に、広島県の天然記念物に指
定されている。
現在は、熊野地域でゴギの養殖をしており、地域のイベントでは、養殖されたゴ
ギの塩焼きを販売しており地元で人気のある川魚である。