稚児ケ池神社(ちごがいけじんじゃ)
稚児ヶ池神社の由来
「三井野の地名は御生、御井で比婆山神話に由来し、此処にある稚児ヶ池は古い伝説と信仰を持っている。出雲風土記に出雲と備後の界室原山と言うあり、神の御室などありしが、此の原上に古井あり、今は稚児ヶ池と言う。また、天孫族の長者伊弉諾尊神・伊弉冊尊神二神の本拠が比婆山連峰の高開原、幸(油木)の高天原にあり。女性におわす伊弉冊尊神御妊娠の時幸の高天原より東方一里御井(三井野原)にある方一町位の泉のほとりに産屋を作りお籠りになり三貴神天照大神、月夜見神、須佐之男神がこの地に御誕生になり、この泉を御井と呼ばれていた。その後三井と改字され五尺四方、深さ三・四尺の池なるも近国迄名高く聞こえ、毎年近郷より雨上り、雨乞いに即立願して其の験また多く、如何なる旱魃にても水減ずることなく往古は一町四方の池にて伯耆大山や宍道湖とも底が通じていて、大蛇がこれらの池を通っていたと言い伝えられ、陰陽往還の要所に位置し、水量豊富で過去幾多の人馬ののどを潤したが、この周辺は軟弱を極め、水を飲むために近寄りぬかるみに足を取られ、溺死した者もあったため、今は埋められて一坪ほどの池と化しその上に横たえる材木の上に須佐之男命を祀る祠があり、稚児ヶ池神社と呼ばれ隣国より水の神様として信仰を集めている。
(神社説明板より)
高天原(たかがまはら)
日本神話では、天に高天原の世界があり、地に葦原中国、つまり出雲世界があります。素戔嗚尊(須佐之男命)は高天原から出雲の鳥上の峰(船通山)に天降り、八岐大蛇を退治されました。そして奇稲田姫を妻に迎えて出雲の国を治め幸せに暮らされました。
(JR木次線三井野原駅案内板より)